3月中旬、大学院の研究室のOB会を開催するというので行ってきた。卒業して20年も経つと研究室、クラブ、また会社の同期会などいろいろな集まりがあるので、年に1回くらいはどれかの集まりに行くようにしている、、、というか行きたい。
今回宿を大森にとったので、近くに昔のバイト先(当時は蒲田。電子・音響機器の設計)がビルを構えているらしいので行ってみた。でっかいビルではないものの昔の町工場的な雰囲気からすると整然として洗練されている。会社の受付3Fと書いてあるので、徐に上がると受付が特に用意されているのではなく、研究員が10名ばかり。「20年前にバイトしていたものなんですが、社長さまはいらっしゃいますか」一瞬電話してくるんだったと思ったが、何となく見覚えがある人が社長の奥さんを呼んできてくれた。そこからは、徐々に記憶が戻って行き、最上階の研究室の隣の音響室で600万円のJBLのスピーカーを前に社長と雑談しながら時を過ごした。社長さんは難しい人なのでバイト時代は苦手だったのだが、多少丸くなっているように感じた。しかし、耳と自分の仕事にゆるぎない自信を持っているところはさすがだ。昔作った明瞭度試験の指数MTFが今でも検査機のカタログに一指標として記載されていることには少しうれしくなった。バーブラウンのアナログ乗算器を8つも使い、PC98につないで解析していたころと比べると手のひらサイズで、いろんな測定ができる。
そして、夕方五反田に向かいOB会。OB会といっても平成元年修主体。同期はスウェーデンにいる一人を除いてメンバーがそろった。あっ、一人インフルエンザで欠席もいた。おもに当時の話で盛り上がったが、研究のことはあまり話題にならず、当時の学生生活、楽しかった研究室時代のことに終始した。毎日研究室には顔だしていたけど、何してたんだろう・・・テニス??私が研究していた内挿関数はどうなったんだろう?スペクトラム拡散などもやってたはずだが。
みんなそれぞれの会社に帰ればもうそれなりの重職にあるはずだが、20年タイムスリップして、とても楽しいひと時を過ごせた。

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投稿者プロフィール

飯田 通
飯田 通住職
光圓寺第20世住職。
小学校、公民館での出前理科授業を行っています。
今は、Scratchを利用したプログラミング教室も担当しています。