合塔の彼岸花

 先日、標記の「利他の扉」という中国新聞の記事を取りあげました。

 その一ヶ月後の同紙洗心欄において、2週連続で「利他を考える」という特集が組まれました。奇しくも最初の回はホームページに挙げた書物の共通項、若松英輔さんに聞くという記事でした。若松さんはカトリックの信者ですが、『「利他」とは何か』では柳宗悦のことを取りあげており、面白いなと思いました。それで、「危機の神学」という本も購入して読んでみたのですが、副題にあるとおり「無関心のパンデミック」ということばが一つのキーワードとなっています。「より悪質なウィルス、無関心なエゴイズムというウィルスに侵されるかもしれない危険です。自分にとってよければ生活が改善しているという考え、自分にとってよければすべてよしという考えによって拡散されるウィルスです」、さらに「今回のパンデミックが思い出させてくれるのは、苦しむ人の間には、違いも隔たりもないということです。わたしたちは皆弱く、どこも変わることなく、だれもが大切な存在です。起きているこの出来事が、わたしたちを内奥から揺り動かすものとなるよう期待します」という教皇フランシスコの言葉を引用され、『無関心』ということがコロナが終わっても残り、いっそう他者との関わり方が疎になっていくのではないかと危惧されています。そこに利他(何の特別なことではなく、他者と生きる上で自然に私たちが持っているありよう)の教えが支えになってくれるのではないかと記事では述べられています。

 支えあって生きていた社会がいつの間にか個を重視するようになり、利己的になっていった現代。情報に埋もれて、そこにある危機ということに気づかない私たち。もう少し立ち止まって私を見つめ直していくことが必要だなとつくづく思います。

 この記事が出る前、8月26日(祖母の祥月命日です)に5コールくらいで取ったときには不通になった電話がありました。その電話番号が中国新聞社のものであったのは、気のせいかも知れませんがひょっとしたら・・・。

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投稿者プロフィール

飯田 通
飯田 通住職
光圓寺第20世住職。
小学校、公民館での出前理科授業を行っています。
今は、Scratchを利用したプログラミング教室も担当しています。