東工大の人文

 先日の中国新聞・洗心欄に上田紀行先生とご門主が対談されたことの記事が掲載されていた。昨年、浄土真宗の教章が新しく制定されたことで、上山大峻先生が講義に来られた時にちらっと上田先生の名前が出てきたので、本願寺も先生に興味をもたれるようになったのかな、と思っていた。
 東工大の人文の先生には面白い人が多く、在学時代には江藤淳、香西泰先生などがいらっしゃった。私は経済学を希望したのだが、漏れて永井陽之助先生の政治学を受講することとなった。これが、また面白く、政治の裏話などをからめた毒舌な論調で興味を引いた。ちょうど退官記念講演にも遭遇し、花束を渡す方々を見て、こんなえらい人じゃったんか、と改めて知った。その先生も昨年亡くなられたという。
 さて、そういうことで、結構母校の人文の先生には関心があって、卒業後も橋爪大三郎教授などの著をちらっと読んだりした。そんなとき、新聞の書評?に上田紀行東工大助教授・宗教学という肩書を目にし、俄然興味を持った。が、青年僧侶春秋会でも講演にお呼びしようか、と議題をあげてみたものの他の人の関心は低く、実現には至らなかった。といっても、母校の先生ということだけで私自身接点は何もない。
 先生に共感できるのは、社会システムをひっくるめた視点からの宗教観である。蔵前ジャーナル(東工大同窓会誌)に載っていた講演録を引用すると
 「やみくもにただ点数を上げたりとか、あるいは収入を増やしていくのではなくて、その増やす部分がいきがいにはたしてつながっているのか、あるいはそれが減っても私の生きる意味がどこにあるのか。右肩上がりの神話が途絶えた今、われわれはそういった数字がただ右肩に上がっていけばいいというような先入観を超えて、本当にわれわれは何が欲しいのか、そして他者から求められた、他人の欲望を生きるのではなくて、私が本当に欲しいのかということに向かい合っていかなければいけない時代に来ていると思います。
 そして、他者からの冷たいまなざしというもののなかで不安を高めているのではなくて、他者とのつながりというものをもう1回回復しつつ、そして自分は本当に人生で何が欲しいのかということを数字であったり、人から言われたりするような体系ではなく、自分の頭で日本人が考えていくこと必要なのではないか。そして、自分のそうした人生哲学とか夢であるとかそういったようなものを、後輩とかご自分のご家族に語っていただきたいと思います」(H13.11.10講演)
 そういえば、先日総代さんと話しているときに、最近は哲学といったものを語らなくなった。これからは、受け売りではなくそういったことをきちんと語っていく人を育てないとどうなるか分らん、というようなこと話された。忙しい忙しいといって柱を失いつつある私たちは人とのつながりを再構築して、きちんとした柱を据えていくことが必要だろう。この不況はその再構築の好機かもしれない。

KOUENJI,Hiroshima,Japan