ようやく暑さも和らぎ、お彼岸が近づいて参りました。そんな時期に、盆灯ろうの話題もなんなんですが、10月にケンミンショウという番組で扱われるみたいなので少し触れてみます。
盆灯ろうのいわれについては諸説(紙屋さんの娘さんが亡くなって、悲しまれた親御さんが供えた・・・元は紀州の風習で浅野の殿さんと一緒に広島に伝わった等々)あって、どれが正しいのか定かではありませんが、江戸時代を起点としておよそ200年以上は続いている風習であることには違いありません。お墓を彩る荘厳としてきれいなことから、この地に広まり夏の風物詩となったことでしょう。それでも、私が小学生のころには盆灯ろうの撤去作業を手伝っていましたから、昭和四十年台にはそんなに数はなかったように思います。多くても一つのお墓に3,4本程度でしょう。そうでないと家内作業では手に負えませんから。
しかし、オイルショック後景気が良くなってくると、限られた地域だけでなく広島市周辺にも広がり、しかも、一つの墓に何本も立つようになりました。そうなってくると荘厳と言うよりは”確かに参りました”という証拠の意が強くなってきます。同時に灯ろうが通路を封鎖して邪魔である、何本も立てるのでもう少し安価にはならないのか等の不満も生じてきます。また、墓地管理側としても後始末が大変なので、灯ろうを邪魔者扱いしだします。そこで、火災の恐れがあり危険ということを前面に出して、灯ろう廃止という墓地も出てきました。
ここで、困るのがお墓参りをしましたという証です。今までは灯ろうがその役目を果たしてきたわけですが、それがないと疎かにしたような気がするのでしょう。そこにつけ込んだのが、お名号が書かれた木札です。

これは、他宗で用いられる卒塔婆をヒントにしたと想像するのに難くありません。ミニチュアの塔婆です。とするならば、それはお墓の荘厳としてのお供えではなく、追善供養のための施しと理解することもできます。阿弥陀様の本願力によって浄土に参られ、仏となられた方に対して、また迷いの世界に引き戻し、供養する?という不思議な解釈が生じてきます。しかも、要であるお名号、南無阿弥陀仏を粗末にすることにもつながります。お墓参りというのは亡き方を縁として、自分を見つめ直させていただく機会でもあろうかと思います。忙しい日常を離れて、今ここにある私を感じる、そこには多くの縁があったことに気づきます。
最近はエコということにもこじつけられて灯ろうは苦戦しています。新聞でも灯ろうは衰退するという前提で記事を書かれたりします。しかしながら、うちではお墓の荘厳、お供えとして灯ろうは良しとしますが、木札はだめです。といっても、残念ながら排除することも感情論があって難しいのが現状です。
うちでは灯ろうの後始末は門前の業者さんがして下さいます。そのためスーパーで買うよりも高価です。そこのところが理解されずコスト至上主義になっていくと残念ながらうちからも灯ろうが消えていくことになるかもしれません。

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投稿者プロフィール

飯田 通
飯田 通住職
光圓寺第20世住職。
小学校、公民館での出前理科授業を行っています。
今は、Scratchを利用したプログラミング教室も担当しています。